2020年9月6日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

先日、私たち森小路教会は寂しい知らせを聞きました。長年共に礼拝を捧げてきた愛する姉妹が天に召されたのです。しかし、すべての葬儀の過程を主が導いてくださり、神様の限りない慰めを感じました。コロナ禍で家族葬として行われたにも関わらず、復活を信じる信仰によって、また会えるという希望と愛で満ちた素晴らしい時間でした。もちろん、しばらくは会えない寂しさはありますが、悲しさと絶望に満ちた葬儀ではなかったのです。むしろご遺族の方々が私を慰めてくださったほどの恵みの時間でした。

 

私たちキリスト者にとって、死は、単なる終わりではありません。それは新たな始まりです。故人にとっては永遠なる命の始まりであり、地上に残された私たちにとっては新たな命を生み出す希望の時でもあります。なぜなら葬儀そのものが、神様を知らない魂に対する証しでもあるからです。その証しを通して、神様を知らない魂に福音の種がまかれ、やがてその福音の種から花が咲き、そして実を結ぶでしょう。このようにして教会では、2000年もの間、死を通して信仰の遺産が引き継がれてきました。種は芽を出すために殻を破り、枝は花を咲かせるために身を削って傷口を造り、花は実を結ぶためにしおれ、実は種になるために朽ちていきます。これは神様が与えてくださった自然の摂理ですが、キリスト者の死も、まさにこのようなものです。どう生きるかだけではなく、どう死ぬかが私たちキリスト者の証しなのです。私たちの死によってイエス・キリストの永遠なる命が世に示されるからです。

 

『兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。』(テサロニケの信徒への手紙一 4:13~14)

 

在主

林 尚俊

 

牧師室より トップ