2020年11月15日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

先週は神様が送ってくださった娘が本家に戻ったので、にぎやかだった牧師館がちょっと寂しくなりました。最後の晩にピザパーティーをし、娘の発案で人生ゲームをすることにしました。何十年ぶりの人生ゲームです。はじめはやり方も思い出せず、しかも昔の人生ゲームより複雑になっていたので戸惑ってしまいました。しかしすぐに新しいルールにも慣れ、私は一気にトップに躍り出ます。娘もそれなりにコツコツとお金を稼ぎながらついてきました。しかし問題は妻です。なんと途中で逆走したのです。現実だけでなく、ゲームの中でもまさかの方向音痴でした。あまりにも自然に逆走したので、はじめは誰も気づきませんでしたが、さすがに若い娘が気づき、思い切り逆走している妻を止めました。3人とも笑いが止まらず、しばらくゲームどころではありません。やっと気持ちを取り直してゲームに集中し、結果は見事に私の圧勝(笑)! 本当に久しぶりにおなかが痛くなるほど笑いました。

 

人生ゲームをしながら、私たちの人生もゲームのようにやり直しがあったらどうなるのかなと思いました。ゲームでは、思い切り逆走したり出た数字を読み間違えて進んだりしても、戻ることができます。しかし一度限りの私たちの人生では、前に戻ることはできません。山あり谷ありの人生の中で、私たちが向かうゴールはどこなのでしょうか。詩編の著者は、人生のつまずきの前で神様に願いました。「生涯の日を正しく数えるように教えてください」と。生涯の日を正しく数えることができるのは知恵ある心であり、その知恵は真理から来ます。つまり神の教え(福音)を正しく知ることが人生には必要なのです。たまにみんなで教会で人生ゲームをして、おなかが痛くなるほど笑うのも“ええんちゃうか”と思いました。

 

『人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれてあなたの憤りをも知ることでしょう。生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。』 

(詩編90:10~12)

 

在主

林 尚俊

 

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