2021年01月24日

 

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

関西地方の2府1県にも緊急事態宣言が発令され、約2週間がたとうとしています。そんな中で先日、牧師館の近くにある某病院でクラスターが発生したという話を聞きました。近いとはいえ生活圏内にはないため心配はしていませんが、コロナが目の前にまで迫ってきたという意味では、ちょっとびっくりしました。皆さんもくれぐれもお大事になさってください。

 

そういうわけで、今日はちょっと明るい話をしましょう。私が子どもの時の話です。子どもの私は独特な習慣を持っていました。寝る時にクマちゃんのぬいぐるみがないと眠れなかったのです。クマちゃんの名前は「ゴムドリ」でした。しいて日本語に訳せば「クマ助」でしょうか。とてもシンプルな名前です。私はどこに行っても「ゴムドリ」さえいれば、すやすやと眠ったそうです。ある日、母は出かける時、背中におんぶした私に「ゴムドリ」を持たせました。しかし背中で寝てしまった私は、途中で「ゴムドリ」を落としてしまったようです。目的地に着いてからぬいぐるみがなくなったことに気づいた母は、本当に焦ったそうです。通った道をたどりながら探しましたが見つかりません。そこでしかたなくおもちゃ屋さんで新しいぬいぐるみを買ってきました。しかし私はそれが「ゴムドリ」でないことに、すぐ気づいたそうです。泣き崩れる私を寝つかせるためにいろいろ試しても何の意味もなく、それからしばらくは、毎晩、泣き疲れて眠るという日々が続いたそうです。

しかし私は、ある時から諦めたようで、ごく自然に新しい「ゴムドリ」に心を許したそうです。一代目の「ゴムドリ」は覚えていませんが、二代目の「ゴムドリ」のことはいまだに覚えています。ここだけの話ですが、軍隊に行く前まで二代目の「ゴムドリ」を持っていました。

 

私たち人間が「忘れてしまうこと」は、その時には苦しく思えるかもしれません。しかしそれは神様からの祝福だと思います。なぜなら、つらいこと寂しい思いなどをいつまでも鮮明に覚えていると、なかなか前に進むことができないからです。そこで神様は私たちに「忘却」というプレゼントをくださったのだと思います。私たち人間だけではなく、神様はご自身も「忘却」されました。私たちの罪を忘れるためでした。神様はイエス・キリストの十字架の故、私たちのすべての罪を「忘却」されたのです。神の「忘却」によって私たちは神の子となることができたのです。これからも、事実は覚えていても、その時のつらい感情は忘れるという、いい意味での「忘却」ができればと思いました。

 

『わたしは、彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』

(ヘブライ人への手紙 8 :12)

 

在主

林 尚俊

 

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