2021年03月21日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

突然ですが、皆さんは、特定の食べ物がむしょうに食べたくなることはありませんか。私は時々あります。実は先日、子どもの時に毎日のように食べていたある食べものが急に食べたくなって、教会からの帰りにスーパーに寄りました。それは「豆もやし」です。妻は他におかずを用意していたので、次の日に食べればいいのにと思ったでしょうが、わがままを言ってもやしナムルを作り一緒に食べました。私が子どもの時、韓国では、もやしと言えば豆もやしでした。最近では日本でも韓流ブームのおかげかスーパーで普通に手に入るようになりました。特に豆もやしナムルが有名ですね。

 

実は私は子どもの時には、この豆もやしが大嫌いでした。毎日のように食べていたからです。豆もやしの食べ方はナムルだけではなく、いろいろありました。一番よく食べたのがもやしスープです。煮干しのダシと塩で味付けをしたあっさりとしたスープで、朝ごはんにはピッタリです。もやしと一緒にご飯を炊いて、あとからひき肉炒めと醤油を混ぜて食べるもやしご飯も人気がありました。しかしいくらおいしくても、さすがに毎日だと飽きてしまい、食卓にもやしナムル、もやしスープともやしご飯の「もやし三銃士」が出る日は、家出を考えたこともあります。

 

なぜ毎日食べたかと言うと、まず安いからでした。それにうちでは祖母が豆もやしを家庭栽培していたのです。今の感覚から見ると有機栽培でヘルシーに聞こえますが、私には栽培するための労働が課されていたので、とても嫌でした。まず週に1回、大豆の選別をしないといけません。これが本当に面倒くさいのです。適当により分けると祖母が「もういいよ。私がやる」と言い、うれしい解雇になります。祖母はとても丁寧に一個一個大事に触ってより分けました。そして下に穴がたくさん空いている豆もやし栽培専用の大きな壺に選別した大豆を入れたあと、光が入らないように黒い布で全体を覆います。そして毎日朝昼晩と水を与えないといけません。もちろんその作業も私の担当でした。「スーパーで買えばいいのに」とつぶやくと、祖母は「ダメ。家で育てて食べた方がおいしいの」と言い、家庭栽培をやめる気配は一切見せませんでした。もしかしたら祖母は、私たちに物を育てる大切さを教えるために、家でもやしを育てていたのかもしれません。

 

大豆を丁寧に選別していた祖母の背中が懐かしくなりました。そして祖母が大豆を一個一個、無駄にならないよう丁寧に扱ったように、神様も私たち一人一人を大事に大事にご自分の御国に導いてくださるんだなとふと思いました。明日の晩御飯は「もやし三銃士」にしようかと思います。レシピが欲しい方はいつでも声をかけてください。

 

『キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。』

(エフェソの信徒への手紙 5:26~27)

 

在主

林 尚俊

 

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