2021年05月23日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

3回目の緊急事態宣言が発出されてから、私たち夫婦は感染リスクを減らすために外食をやめ、毎食、家で食べるようになりました。たまに店で買った料理をテイクアウトしたり出前を頼んだりもしますが、ほとんど家で作って食べるようになりました。和食や普通の料理は妻が作りますが、韓国の料理やアジア系の食べ物や珍しいパスタが食べたい時は私の出番です。中でも最近、特に好んで作るのがパスタです。特にアンチョビとニンニクをたっぷり使った海鮮オイルパスタは私のストライクゾーンそのものですので、昼に牧師館に帰ってよく作るようになりました。しかし問題は妻があまり喜ばないことです。もちろん味が美味しくないからではありません。味に関しては自他共に認めている(?)ので大丈夫だと思いますが、パスタを作る時に私が使う道具が問題なのです。ある時、美味しく仕上げるためにスキレット(鋳鉄のパン)を使いましたが、妻は私がスキレットを使うのをあまり嬉しく思わないようです。もちろんそれには理由があります。

 

一生ものだと言われているスキレットの手入れは実に面倒なのです。使用後、洗剤を使うのは禁物です。お湯だけでタワシなどでキレイに洗ったあと、強火で水気を飛ばします。この時に水気を完全に飛ばすのが大事なポイントだそうです。それからパン全体に油を塗り表面から煙が出るまで強火をかけます。このように毎回、徹底的管理しなければスキレットはさびてしまい、次に調理する時に食べ物が焦げついて使えなくなってしまいます。このように面倒なので、妻もスキレットを使うのは年に数回(本人はもっと使ってると否定していますが)ですので、私が昼間に帰ってきてスキレットを使うというのはあまり歓迎されません。

 

実は聖書の中にもスキレットの手入れについて言及されています。エゼキエル書 24章見ると「錆(さび)のついた鍋」は災いであるとあります。ここで言う錆は私たちの罪を意味します。私たちの中に罪の種が少しでも残っていると必ずさびてしまい、しまいには使えなくなるということを教えられる箇所です。つまり私たちはキレイに洗われたあと、主の油を塗り、人生の強火の中に入れられ、そこで鍛錬されるということですね。ここで言う油は神様の選びで、強火は様々な苦難や問題のことです。すなわち神の選びの油を塗られた私たちには、人生の強火すなわち苦難は、私たちが神の器として用いられるために必然だということです。

今度からはスキレットを使ったあとは私が手入れをしようと思いました。すると次からは自由に使わせてくれのではないかと期待しつつ。

 

『それゆえ、主なる神はこう言われる。災いだ、流血の都よ。錆のついた鍋、その錆は取り除きえない。肉を一切れ一切れ取り出せ。くじがそのために引かれることはない。』

(エゼキエル書 24:6)

 

在主

林 尚俊

 

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