2021年06月13日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

今日は私が大好きなキンバリー・カーバーガー(Kimberly Kirberger)という詩人の「If I knew then What I know now (今知ってることを、その時も知ってたら) 」という詩の一部を紹介したいと思います。

今知ってることを、その時も知ってたら

心の声にもっと耳を傾けただろう

もっと楽しく生きて、あまり悩まなかっただろう

……人がどう思ってるかは、あまり気にしなかったはず

……両親がどれほど私を愛してるか分かっただろう

……もっと感謝でいっぱいになるだろう、絶対に。

いろいろと考えさせる美しい詩だと思います。これより少し長い英語の詩ですが残念ながら日本語訳は見つけることができませんでした。「今」と「その時」を並べ「後悔」する心を歌った詩です。私たちは皆、程度の違いはありますが、このような後悔をどこかに抱いているものなので、この詩に共感する部分があるでしょう。

 

聖書の中にも「今」と「その時」について語られている箇所があります。コリントの信徒への手紙一13:12です。

「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」

 

この聖書箇所にある「そのとき」と、先ほどの詩の「その時」は大きく違います。詩では「今」から「過去」を振り返っていますが、聖書は「未来」から「今」を見ているのです。聖書の視点は、過去によって作られた今の状況から自分の人生を判断するものではなく、未来から今の人生を見るという視点です。未来の「そのとき」とは「神の国」が訪れる時で、キリストによってすで(・・)に(・)与えられているため、「そのとき(未来)」から「今」を見ることができるのです。そして聖書は、私たちが今どんな境遇に置かれていても「そのとき(未来)」から「今」を見る行為を「信仰」と定義しています。ですので私たち信仰者は、過去の出来事をただ「後悔」する存在ではなく、信仰をもって「紅海」を渡る存在です。

 

信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないように、過越の食事をし、小羊の血を振りかけました。信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。……

(ヘブライ人への手紙 11:28~29)

 

在主 林 尚俊

 

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