2021年07月18日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

私が日本の神学校での学びを終え牧師按手を受けたのは韓国の教会です。韓国の教会では一度にたくさんの人が牧師按手を受けるので、私の時にもたくさんの人がいて、約30人が同時に牧師按手を受けました。按手の前の牧師になるための検定試験があり、そこにはそれよりもたくさんの人がいたので、全員を管理するために便宜上名前を呼ぶより番号を付けて管理されていました。ですので試験の時や面接の時に一緒にいた人のことを番号で覚えています。主催者側が私たちを番号で呼んだので、私たちも自然に番号で呼び合っていました。

 

そんな中で一人、今も印象に残っている人がいます。7番です。彼はパキスタン出身でした。もちろん見た目が明らかに外国人だったので記憶に残っているのもありますが、もっと覚えているのは彼の韓国語です。面接の前に皆が集まって自分のことを紹介する機会がありました。彼の順番になった時、彼は一生懸命に韓国語で、自分の牧師としての使命と抱負について語りました。彼は韓国の神学校で博士号まで取得したため、韓国語は問題ないと思っていたのですが、韓国の神学校の中には優秀な外国人留学生を確保するために英語のみで授業を行う神学校もあります。7番の受験者も、ほとんど英語で授業を受けていたので韓国語はそこまで上手ではなかったようです。しかし今思うと彼は本当に勇気のある人でした。自分が思っていることを一生懸命韓国語で書いて、暗記して話したのです。ぎこちない韓国語で全部は聞き取れませんでしたが、彼の本気度は、そこにいた他の受験者に負けませんでした。それがきっかけで私は彼と仲よくなりました。なぜなら私も彼のように、日本の神学校で外国人留学生だったからです。同病相憐れむ、といったところでしょうか。

 

私も最初に日本の神学校に入学した時は、何よりも言葉の壁が一番大きな壁でした。神学校に入って最初の授業を受けて家に戻った時の私の顔を見て、妻が本当に心配をしてくれたのです。その時の私の頭の中は「これをやっていけるかな?」という不安でいっぱいでした。その日の授業をほとんど理解できなかったのです。すべての授業を録音して、家で再び聞き直しましたが、難しい神学用語が飛び交う授業は、日常会話とはまるで天と地の差でした。妻いわく、その日の私の顔は真っ青だったそうです。しかしその時に落ち込んでいた私に、立ち直る力をくださったのは次の神のみ言葉でした。この言葉を信じて、私は、たとえ間違えたとしても落ち込まず、いつも躊躇なく自信を持って大胆に語ろうとしています。ですので、ぜひ皆さんも、私の日本語の実力が神の恵みによって上達するように祈ってください。

 

引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。

(マタイによる福音書10:19~20)

 

在主 林 尚俊 

 

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