2021年08月15日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

4回目の緊急事態宣言が発出されてから2回目の聖日の礼拝を捧げるための準備をしています。何回やっても2~3人しかいない礼拝堂でみ言葉を伝えなければならないという状況には慣れないものですね。あと少しだけ耐えれば、再び御堂に集って共に礼拝を捧げられるでしょう。その時まで、くれぐれも皆さん、お体をお大事になさってください。

 

子供のころ春になると学校前の路地におばさんが座っていてヒヨコを売っていました。小さくて黄色いヒヨコたちが段ボール箱の中でピヨピヨと鳴いていて、放課後になると子供たちは一瞬にしてそこに集まります。そんな元気な子供たちの姿を想像すると本当に愛くるしいでしょう。その中の一人だった私も何度かそこでヒヨコを買いました。最初のヒヨコは買った翌朝、冷たくなっていました。そんなに長く一緒にいたわけではなかったので、そこまで悲しまなかった覚えがあります。

 

翌年の春、またヒヨコおばさんが現れます。段ボール箱の中のかわいいヒヨコたちを見て、前の年の苦い思い出をすっかり忘れ、またついつい買ってしまいました。ヒヨコを大切に持って家に帰ると、「また買ってきたのか」と母に怒られましたが、「自分でちゃんと面倒をみる」と言って自分の意志を貫きました。その時に買ったヒヨコは前よりは長く、約一週間で冷たくなりました。その時は、ちょっぴり悲しかった覚えがあります。それで二度とヒヨコを飼わないことにしました。

 

しかし、その数日後だったと思いますが、今度は姉が、小さな箱にヒヨコを入れて持って帰って来たのです。もちろんまた母は怒りましたが、どうせすぐに死ぬだろうと思ったのか、これが最後だと約束させて飼うことを許してくれました。それから私たちは今度こそは死なせまいという覚悟で、餌やりやケージの掃除の当番を決めて朝晩一生懸命に世話をしました。病気にならないように薬まで飲ませたのです。たしか人間用の抗生物質だったと思います。その薬が効いたせいかヒヨコはすくすくと元気に成長しました。死ぬのが怖くて名前も付けずただ韓国語で「ビョンアリ(ヒヨコ)」と呼んでいたので、それが名前になりました。いつの間にかビョンアリは羽が生えて立派な雄鶏になりました。大きくなりすぎたので小さなケージに入れるのもかわいそうになってしまうほどです。しかも朝になると大声で鳴くようになったので困っていました。

 

そんなある日、学校から帰ってきたら姉たちが大声で泣いています。嫌な予感がしたのでビョンアリのケージに行くと、やはりいませんでした。母に聞くと、これ以上家で飼うのはビョンアリにとって良くないと思い、田舎の友人にあげたとのことでした。私は悲しくて泣きましたが、広い田舎の庭で元気に過ごすビョンアリの姿を想像して、何とか悲しさを乗り越えた記憶があります。今思うと、もしかしたら市場の鶏肉屋に売ったかもしれませんが、その時には母の言うことを信じたのです。その後、ビョンアリとのいい思い出があったので、しばらくは鶏肉を食べませんでしたが、それもすぐに忘れて、今はチキンが大好きです。

 

二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。 (マタイによる福音書10:29) 

 

在主 林 尚俊 

 

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