2021年10月31日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

いつの間にか10月の最後の日になりました。もう晩秋ですね。さて、皆さんは秋と言えば何が思い浮かびますか。私は、まぶしいほど澄んだ秋晴れの日にした子供のころの運動会を思い出したりします。私の子供の時の運動会の風景は、今の日本の小学校の運動会の風景とそっくりです。リレー、騎馬戦、綱引き、玉入れなど全く同じ競技をやっていました。先日、偶然この運動会に関するアンケート記事を読みました。「一番好きだった競技は?」という質問に対する答えで、一番多かったのはやはり運動会の花形のリレーでした。二番目が騎馬戦で、三番目が徒競走でした。皆さんは、どれが一番好きだったでしょうか。私もやはりリレーや徒競走など走り系の競技が大好きでした。足が速かったので毎年リレーの走者に選ばれたこともあり、リレーは特に大好きでした。リレーの時が近づくと負けず嫌いだった私は本気モードに入り、笑顔もなくなっていたくらいです。

 

小学校4年生の時の運動会だったと思いますが、その年もやはり私はリレーの走者に選ばれていました。私を応援していたファン(?)たちの間では、サンジュン君が1位になるのは当たり前で、2位とどれくらい差をつけるかが大きな関心事でした。いつもなら徒競走はリレーの前の軽い練習として位置付けていましたが、年を重ねるごとにますます高まってきたファンの期待に応えたかった私は、例年とは違った心構えで徒競走に臨みました。まず帽子のつばが後ろになるようにかぶり直し、スニーカーの紐もしっかりと結び直しました。まるでオリンピック選手になったかのように低い姿勢でスタートラインに立ち、息を止めました。すべての観客は固唾を呑みながら記録更新の歴史的な瞬間を待っていました。「ようい~ドン」というピストルの音と同時に、私は弓から放たれた矢のように前に飛び出ました。しかしあまりにも勢いよく前に飛び出たせいかバランスを失った私は、手を前に出すこともできず、顔から地面に倒れ込んでしまったのです。何が起こったのか把握することもできないまま、とにかく立ち上がりまた走りだしました。しかしすでに前の走者との差は大きくなっていました。そして大勢の観客の失望のため息とともに、ビリでゴールしたのです。その後、同級生たちや先生方からの励ましの言葉を聞くたびに、励まされるどころか悔しくて体が震えるほどでした。もちろんその後のリレーでも徒競走のトラウマから抜け出すことができず、チームエースの不振が原因で、私のチームは負けてしまったのです。

 

数日後、友達が一枚の写真を持ってきてくれました。自分のお父さんが、誰かは分からないけれどかわいそうな子がいたので写真を撮ったそうです。その写真には、カッコ悪くコケて、血と泥まみれの顔で走る私の姿が写っていました。今でも秋になり小学校の運動場に飾られている万国旗を見ると、その日を思い出します。「もう一度、あの時に戻って、今度はカッコよく走りたい!」なんてつぶやきながら、今でも悔しがっています。

 

「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです」

(コリントの信徒への手紙一 9:24~25)

 

在主 林 尚俊 

 

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