2022年03月06日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

先日、妻と共に久しぶりに出かけました。目的地はキャンプ道具などを販売するロゴスという会社が運営している『ロゴスランド』です。ランドと言っても大規模な遊園地ではなく、バーベキュー場やちょっとした遊具があるくらいののどかな公園で、広い敷地に人はまばらです。小高い丘の上に全長140メートルもある大滑り台がありました。せっかくここまで来たからには乗らないという選択肢はなかったので、妻と私はさっそく滑りました。妻が先に滑りましたが、案の定、滑り台に座るまでの妻のビクビクと怖がる後ろ姿は私の期待を裏切りませんでした。私も本当に久しぶりに楽しく滑りました。

 

滑り台を見ると子供時代を思い出します。私が子供の時に住んでいた家の敷地内には滑り台やシーソーやブランコがあったのです。そうです。私は金持ちの家のおぼっちゃまでした、と言いたいのですが、そこは期間限定で借りていた借家でした。その家の敷地はとても広く、遊具がそこにあっただけです。そこは高いビルが建つ予定地だったので、建設が始まる前に広い敷地のあるその家を母が一時期借りてリアカー保管場を営んでいたのです。

 

その地域はソウルのど真ん中だったので、あの有名な明洞(ミョンドン)がすぐ隣にありました。明洞は当時ソウル一番の繁華街だったので、たくさんの屋台のリアカーが町に出て、いろいろな物を売っていました。一日の商売が終わってリアカーの大軍団が敷地内に入って来る壮大な光景は、いまだに記憶に残っています。手土産やアクセサリーのリアカー、食べ物を売っているリアカー、果物を売っているリアカーなど色鮮やかなライトで飾られたリアカーが帰ってくる時間になると門扉に立って皆に挨拶するのが、大屋敷のせがれとしての私の日課でした。そんな中で普段から私のことをかわいがってくれていたバナナおじさんがいました。なぜ「バナナおじさん」かと言うと、彼は茶色く変色して売れ残ったバナナをよく私にくれたからです。それが目当てで門扉に立っていたのもありました。

 

ところが、ある日バナナをもらえなかったのです。おそらくバナナが全部売り切れたのでしょう。バナナおじさんは失望した私の姿を見てかわいそうに思ったのか、私にこう言いました。「今すぐ白紙を持ってこい」。私は言われたとおりにしました。するとおじさんはポケットからライターを出してその紙を燃やして、紙の灰を手のひらに載せて両手でこすりました。そして両手の間をちょっと空けて息をフッと吹き入れました。灰が飛び散った後、おじさんが手のひらを広げると、なんと中から500ウォン紙幣が出てきたのです。そして、その大事な500ウォンの紙幣を私の手に握らせて言いました。「今日はこれで美味しいお菓子でも買ってお姉ちゃんたちと食べろ」。500ウォンも嬉しかったのですが、それよりも生まれて初めて生で見た素晴らしい手品に興奮しました。そして次の日の夕方にも私は白紙を持って門扉に立ってバナナおじさんを待っていました。しかしその姿を母に見つけられてすごく怒られ、残念ながら二度とその手品を見ることができませんでした。

 

今思うと素敵な思い出でです。子供たちに喜びと夢を与える大人って本当に素敵ですね。私もそのバナナおじさんに倣って、子供たちに喜びと夢を与える素敵な大人になろうと思い、つたない実力ではありますが、手品を練習したり、マジックバルーンの作り方を身につけたり、フェルトクラフトに挑戦したりしたのです。

 

わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。

(マルコによる福音書 9:37)

 

在主 林 尚俊 

 

牧師室より トップ