2022年03月20日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

皆さんも最近、全世界的な次元で起こっている様々な出来事を目の当たりにしながら大いに危惧の念を抱いておられると思います。感染症によるパンデミックと戦争、また自然災害、そして気候変動による異常気象現象など、今の私たちを取り囲む世界は、聖書に出てくる終末的な予兆であるかのようにも感じられます。このような暗い状況の中で、今日は皆さんと希望について分かち合いたいと思います。

 

最近、コロナによるパンデミック以降、世界的な神学の潮流も大きく変わろうとしています。その中で「希望の神学」と言うキーワードが大きく目立つようになりました。神学論文や信仰書、また説教集などの様々な分野で、この「希望の神学」が新たに注目を浴びています。

 

「希望の神学」は、ドイツの神学者ユルゲン・モルトマン(Jürgen Moltmann)が1964年に同名の『希望の神学』と言う神学書を発表してから構築された現代神学の潮流です。彼はナチス・ドイツの軍隊に従軍して、第二次世界大戦中に捕虜となり、そこで初めて神学に触れ、十字架の苦難と復活の希望を心に焼き付けられ、それが「希望の神学」のきっかけになったと言われています。この「希望の神学」とはキリスト教的終末論のことです。彼はこの著書で、イエス・キリストの十字架の死と復活を通して示されているのは、人間の死、滅亡などの究極的な終わりではなく、真の命、真の義、真の神の統治が確実になることであると提唱しました。だからこそ過去の事柄にとらわれず、新しいことを求め、約束された未来(再臨)に向かって進んで行くという希望に満ちるべきだと主張しました。このような彼の力強いメッセージは、深い喜びと慰めと希望に満ち溢れていて、私たちに「希望の終わりの時」を見つめさせてくれます。

 

昨今の様々な出来事を通して悩み始めた今日の教会は、再び「希望の神学」に注目し始めたのだと思います。実際に多くの説教者が、「最後の時に私たちに対する神のみ旨」、つまり「終末の希望」について講壇で語るようになりました。もちろん改革神学を土台としている私の立場から見ますと、かなりの部分で議論の余地はあると思います。しかし私個人的にも、このような時こそ、今まで何となく言及するのを避けていた聖書の中の「最後の日」、「神の裁きの日」についての開かれた議論を私たち教会がもう一度真剣に考えるべきであると考えるようになりました。

 

私が特に彼の著作の中で注目した部分は、繰り返し出てくる「すべての終りの中に、新しい始まりが隠されている。それこそ神が人間を見捨てない証拠だ」という文章です。これはいわゆる難しい「神学的な命題」ではありません。これは誰もが日々のみ言葉のデボーションを通して示されるシンプルなメッセージです。私たちは神学的に深く考察しなくても、希望に満ちている神様のみ言葉を通して神様が私たちのために天地創造の前から備えてくださった神の御国を、信仰を持って見つめているなら、すでにこの「希望の神学」の奥義を悟り、また実践しているのだと思います。そして神によるこの「希望」は、今の世の人々、特に戦禍で苦しんでいる人々には最も必要なものでしょう。

 

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(エレミヤ書 29:11)

 

在主 林 尚俊 

 

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