2022年04月03日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

2022年度になりました。新しい年度の最初の聖日のためにさまざまな準備をしているこの時間、緊張感もありますが期待感の方がより強いです。この新たな一年間、神様が私たち共同体に与えるために用意してくださった素晴らしい恵みについて考えるだけでも胸がいっぱいになります。今年度も私たち森小路教会のために皆さんと共に心を合わせて祈っていきたいと思います。

 

毎年この時期になると、自分が伝道者として新たに出発した時のことを思い出します。韓国での神学生時代の話ですが、韓国の教会には日本の教会にはない職務制度があります。それは「勧師」という職務です。文字どおり「勧める」働きのために立てられた人々で、牧師の牧会的な働きを支えるため、教会の中で特に模範となる女性を選挙で選びます。さまざまな奉仕をしますが、教会の中では「祈りの母」とも呼ばれています。韓国の教会では毎日早天祈祷会がありますが、毎朝欠かさず教会で祈る勧師さんたちの姿を見ると、そう呼ばれるのも納得できます。

 

さて私が韓国の教会で伝道師として働くようになって初めて、早天祈祷会の説教をすることになりました。その教会は講壇に上がる時には靴を脱いでスリッパに履き替えないといけない教会でした。初めての早天祈祷会での説教でとても緊張していた私は、靴を脱いだあとそろえるのを忘れたまま講壇に上がってしまいました。説教が終わって靴を履き替えようとしてふと見ると、靴がきれいにそろっています。きっと誰かがが直してくれたんだろうと思いました。毎週月曜日の早天祈祷会の説教の担当になったので次の月曜日も講壇に上がりましたが、またうっかり靴をそろえるのを忘れてしまいました。説教が終わり靴を見るとまた直されています。誰かが私の靴を直しながら「お行儀の悪い伝道師だ」と思っただろうなと思うと恥ずかしくなりました。

 

その次の月曜日は、やっと自分で靴をそろえて講壇に上がりました。しかしその時、私が靴をそろえている姿をとても悲しい表情で見つめていた80歳を過ぎた一人の勧師さんと目が合ったのです。何とも言えないがっかりした表情が気になったので、祈祷会のあと先輩の伝道師にそれについて聞くと、意外な答えが返ってきました。その勧師さんは毎朝、牧師の靴をそろえることを自分の使命であると思い、何十年も毎朝欠かさず、牧師の靴をそろえてきたということでした。

 

次の月曜日、私はど派手に靴を脱ぎ散らかして講壇に上がりました。そして講壇の椅子に座った時、いつもの席に座っていたその勧師さんと目が合いました。子供のような笑顔で靴をそろえていた勧師さんの姿を今も忘れることができません。今でも毎回、新しことを始める時期には、毎週月曜日の早朝の勧師さんと私だけの密かなやり取りを思い出します。そうすると初心に戻る気がするのです。今は神様の御許にいる勧師さんの笑顔をもう一度見たいなと思いました。勧師さん、今は靴を脱いだら、ちゃんと自分でそろえていますよ。

 

神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。

(ヘブライ人への手紙 6 :10)                       

 

在主 林 尚俊

 

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