2022年04月17日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。ハッピーイースター!

 

毎年この時期になりますと、私のようなクリスチャンホーム育ちの人は、子供の時の日曜学校でのイースターに関する思い出がいろいろあると思います。私の場合はイースターエッグに関するエピソードです。例えば絵の具などで綺麗に色塗りした卵の殻をむくときに、絵の具が手についたのに気づかずに卵を触ると、せっかく綺麗にむかれた卵が絵の具で染まってしまって、それでも無視して食べたら唇や舌が鮮やかな色になったハプニング。余った卵を欲張って食べすぎておなかを壊したこともあります。また卵の殻を割る時に、友達のおでこに思い切り強く当てて割って泣かせたりもしました。また卵とは関係ありませんが、イースター礼拝後の聖書クイズ大会に参加したけれど欲しかった賞品が手に入らなかったので悔しい思いをしたことなど、さまざまな思い出があります。

 

中でも一番記憶に鮮明に残っている子供の時のイースターの思い出があります。それは教会の行事とは全く関係ない出来事です。おそらく小学校の5~6年生のころだと思いますが、当時私はちょうど反抗期でした。理由は忘れましたが、いろいろあって、どうしても教会に行きたくなかったので、日曜学校の礼拝とイースターの行事をサボろうと決心しました。そのためには、どこかで日曜学校の礼拝が終わるまで時間を潰す必要があります。教会の近くにあるゲーセンが日曜日は朝早くから開いていたのでゲーセンに行くことにしました。しかし一時間も画面越しに襲ってくる敵たちを倒すためにはそれなりの軍資金が必要だったので、その日のイースターの感謝献金と礼拝献金のうち、十分の五を聖別して敵との戦いの軍資金として使おうと計画しました。もちろん残りの半分は絶対に必ず献金しようと思っていました。

 

それにしても一時間も一人で戦うのは寂しいし、戦いのための軍事金も十分ではないと判断したので、資金力のある戦友を募ることにしました。そこで教会に向かう途中の道で、援軍と軍資金調達のため戦友を待っていました。いよいよ戦場で生死を共にするのにちょうどいいA君が現れました。さっそく私はA君を戦友として迎え入れるために、自分の壮大な戦略の一部始終をブリーフィングしました。私の悲壮な覚悟に心動かされたA君は味方として参戦を表明し、さらには軍資金においても援助を確約してくれました。千軍万馬を手に入れた私は早速、敵との激しい戦いに挑みに行きました。手ごわい敵もいたので苦戦はしましたが、戦果にはある程度満足したし、約束の時間になりました。完全犯罪のためには礼拝が終わる前に教会の近くまで行かなければなりません。そこでゲーセンを出ると私の嫌な予感が的中しました。母とばったり会ってしまったのです。そうです。そんな悪さがうまく行くはずなかったのです。軍資金のために盗んだ献金はもちろん、A君が私のせいで使ってしまった献金も私のお小遣いから返金することに合意せざるをえませんでした。その年にはしばらくお小遣いがもらえなかった記憶があります。私はこんなふうにしょうがない、やんちゃな子供でしたが、不思議と教会の中では皆に愛されていた記憶しかありません。そのおかげで私にとって教会は、自分の家のような存在です。そうです。父の家です。

 

すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(ルカによる福音書 2 :49)

 

在主 林 尚俊

 

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