2022年05月29日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

画家の描いた絵を褒める時「まるで写真のようですね」と言ったりします。特に人物画や風景画に対しては、これ以上の誉め言葉はないでしょう。また写真家の作品を褒める時には「絵のように美しい」と言ったりします。これもまた最高の誉め言葉だと思います。絵が写真のようだという表現も、写真が絵のようだという表現も、結局のところ褒めたい気持ちを表す言葉ですね。

 

私がまだ社会人として働いていた若い頃の話です。韓国のある超有名な女優さんのお宅に、私が勤めていた会社の社長と共に招かれて食事をしたことがありました。子どもの時にテレビで見ていた有名人と大切なビジネスの話をする場でしたので、本当にドキドキしていました。大邸宅のリビングには巨大なシャンデリアがあり、家政婦らしい方が二人もいました。まるで映画のワンシーンのようです。女優さんは素敵なイブニングドレスを着ていました。そして彼女の首元には、おそらく私の親指の爪ほどの大きな宝石(きっと、ダイヤモンド)がついている高価なネックレスがかけられていました。彼女のドレスやネックレスについて、あるいは彼女の美しさについて褒めなければならないと本能的に感知した私の目に入ったのは、そのネックレスでした。「素敵なネックレスですね。まるで本物みたいですね」。……瞬間、その場は水を打ったように静かになりました。そこにいた人々は皆、静止画のように止まりました。お皿にフォークとナイフがぶつかる音も聞こえなくなりました。当時の私の気持ち的には、その時流れていたBGMさえも止まったかのように感じました。一緒にいた社長も私から目を逸らしました。

 

瞬間、私は「やっちまった」と悟りました。どうしよう。どうすれば挽回できるだろう。どうにか一生懸命フォローしようと思ったその時、いきなり女優さんがものすごく大きな声で笑い始めたのです。そして言いました。「ハハハ! どうやってわかったの? 実はこれ偽物なのよ。本物は怖くて銀行に預けてあるの。あなた鋭いわね」。思わぬ反応に私は戸惑いましたが、彼女が怒っていないことが分かったので、安堵のため息をもらしながら失礼を謝りました。すると彼女は「いいのよ。いいのよ。むしろ私こそ謝らないと。大事なお客さんを招待しておいて偽物を身に着けた私が悪いのよ」。

 

そのハプニングのおかげか、無事に彼女と契約を結ぶことができました。その時の失敗を思い出すといまだに穴に入りたくなるほど恥ずかしくなりますが、ある時、私はフッと思いました。なぜその時、彼女は怒らなかったんだろう。そして思ったのです。きっと彼女は本物の宝石を持っていたためプライドが傷つくことはなかったのだろう。確かにそうですよね。価値のある本物を所有していれば、人々にどんなことを言われようが、またどんな扱いをされようが、堂々と立っていられるのではないでしょうか。私たちは、この世のどんな宝石よりもはるかに価値のある本物の宝石を内に抱いています。ですからどんなことがあっても心の中には余裕があり笑顔でいられるのです。

 

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。

(コリントの信徒への手紙二 4:7)

 

在主 林 尚俊

 

牧師室より トップ