2022年08月21日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

自分の健康を過信してはいけませんが、皆さんもご存じのように私は至って健康な体質です。ここ何年は健康診断以外にはお医者さんの世話になったこともあまりありません。そんな私ですが、比較的長い間、悩まされていることが一つあります。それは手首の痛みです。しかしお医者さんに行くほどではないので、いわゆる腱鞘炎かどうかは分かりません。おそらくパソコンなどを使って仕事をしている人がよくかかるような手首や指の痛みです。大したことなかったので、そのまま放置していましたが、最近になって少し痛みがひどくなってきて、手の痛みが他の部分以上に日常に影響を与えることをしみじみと悟りました。

 

そこで、なぜここまで手の痛みによって人の動きまで制限されるのかについて、いろいろと調べてみました。私たちの人間の両手は手首を含めて54本(14本の指の骨、5本の手のひらの骨、8本の手首の骨)の骨で構成されているそうです。人間の体全体には206本の骨があるそうなので、単純計算で約4分の1です。体全体から考えると、小さな手のひらに、こんなにもたくさんの骨があるなんて不思議ですね。

 

よく考えてみると、その分私たち人間にとって、手が体の中で大事な役割をしていることに気づきました。私たち人間の手は、驚くほど繊細な動きも可能なので、他の動物とは比べられないほど特別な賜物ではないでしょうか。私たちの生活を豊かにしてくれる科学技術、また芸術、そして学問などは頭で想像しますが、結局、それらのすべては手を通して現実になってきました。それだけではありません。人間は手の感覚だけで物を区別することもできます。目の不自由な方は手で触るだけで家族の顔を区別することができるという話も聞いたことがあります。また私たちは手で自分たちの気持ちや心の思いを表現することができます。時には手のひらの体温だけで、挫折して倒れている人々を慰め、再び生きる力を与えることもあります。そして何よりもお母さんたちの手は、子どもたちのちょっとした病気も癒す力があります。

 

聖書を見ますと神様はご自分の御手で私たちを造られました。そしてその御手を伸ばして私たちを守り導いてくださいます。イエス様も公生涯の間、多くの人々を直接御手で触れられました。弱い人には力を、癒しが必要な人々には癒しを、また失望している人には愛と慰めを、何よりも死んでいく罪人を生かすためにご自分の御手にくぎを打たれたのです。私たちをご自分の似姿に造られた神様は、ご自分の御手と似せた手を私たちに与えてくださったに違いありません。だとすれば私たちがこの手を持ってやるべきことは明らかです。私たちの手を通して神様の大いなる愛を伝えることです。しかし今はコロナのために、前とは違って、人々に直接触れることを躊躇するようになってしまいました。しかし今こそどんな時代より、私たちの愛の手を待っている人々がたくさんいます。遠くまで行く必要はありません。周りの家族、また共同体の兄弟姉妹こそ、私たちが手を伸ばすべき対象ではないでしょうか。もちろん腱鞘炎を患っている手でも必ず役に立ってくれると思います。

 

イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」 (マタイによる福音書 17:7)

 

在主 林 尚俊

 

牧師室より トップ