2022年10月23日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

先日、私個人の歴史の大きな転換期を迎えたので、皆さんにご報告させていただきたいと思いました。私が初来日したのは今から31年も前のことです。ちょうど日本では大相撲の若貴ブームと昭和最後の大横綱である千代の富士が引退した年でした。全く日本語がわからなかった私は、テレビをつけるたびに大相撲の話ばかりが流れていたので、「やっぱり日本ではどんなスポーツよりも大相撲が圧倒的に人気があるんだな」と思ったりしました。特に千代の富士の引退のきっかけとなった貴乃花との対戦は連日ニュースになっていましたので、よく覚えています。

 

さて、あれから約31年が経った今、私の日本での生活において、今更ながら新しく感じられる出来事がありました。実は先週の金曜日に久しぶりに一人で難波の方に行ってきたのです。もちろんショッピングやグリコのおっちゃんとのツーショットのためではありません。目的地は大阪メトロ難波駅の近くの御堂筋沿いにある駐大阪大韓民国総領事館でした。ある大事な手続きのために訪ねたのです。「海外移住申告」です。要するに海外に長期的に滞在するために移住した人々に本国での税金や年金などの義務を免除するための行政的な手続きです。

 

実は妻と結婚した15年前に、すでにこの手続きができる資格が与えられていました。なぜ15年も経った今になって申告をしたかと思われる方もいらっしゃるかと思います。実はその申告の内容を聞くと一瞬躊躇したくなる部分あり、今まで見送っていたのです。それは、「海外移住申告をして、本国での住民登録が抹消された人が、再び本国での住民登録を取り戻すためには、当該の国(私の場合は日本)での在留資格を手放さないといけない」という条項です。つまり住民登録地を韓国か日本のどちらかを選択しないといけないということです。片方を選択するためには、片方を諦めることになります。もちろんこれは国籍を変える帰化の申請とは全く異なりますが、韓国において私の痕跡(住民登録地)がなくなることなので、気持ち的にほぼ同じように感じていました。それで15年間ほど悩んでいましたが、やっと申告することにしたのです。日本で牧師として最後までずっと働くということは、最初に献身した時から決まっていたことだったので、手続き上のことをきちんと済ませておくことにしました。これで私は名実ともに日本にしか住民登録がない人になりました。つまりもう韓国に戻ることはありません。(もちろん訪問はしますが)。まるでローマの市民権を持っていながらユダヤ人であった使徒パウロのような立場になりました。そしてパウロが最後までローマで福音を伝えたように、私も最後まで日本で福音の伝道者として遣わされたいと思います。日本に骨をうずめる覚悟でやっていきたいと思っています。

 

領事館に向かって御堂筋の立派な街路樹の歩道を歩きながら、ふと思い出しました。私が初めて日本に来た時もとてもいい天気でした。そのときは春でしたが、成田空港に降りて空を見上げた瞬間、まるで祖国の秋空のようにようにまぶしいほど透き通った青空だったのを昨日のことのように鮮明に覚えています。その時はこうなるとは全く思っていませんでした。感無量です。

 

……パウロは、「わたしは生まれながらローマ帝国の市民です」と言った。(使徒言行録 22:28)

 

在主 林 尚俊

 

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