2022年12月11日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

先週の土曜日のお昼ごろ、教会の正面にイルミネーションを設置している途中、必要な物を買いに出かけた時、妻から電話がありました。電話に出ると妻は悲しそうな声で言いました。「T兄のご家族から電話があって、今朝、神様の御もとに召されたそうです」。突然の知らせを聞いて私は一瞬戸惑いました。なぜなら、ちょうどお昼の前にT兄のところにお電話をしましたがお留守だったので、作業が終わったらもう一回かけようと思っていたところだったのです。私は気を取り直してすぐにT兄の奥様に電話をかけました。お話を伺うと、私が午前中に電話をかけた時は、すでにT兄が亡くなられたあとだったことが分かりました。

 

その後、亡くなったあとのさまざまな手続きがあり、夜になってやっと眠っておられるT兄のお顔を拝見することができました。そして生前のT兄について、奥様からたくさんお話を伺うことができました。その中で印象的な話がありました。T兄は毎晩お休みになる前に、必ず奥様に「今日も一日ありがとうございました」とお礼を言われたのだそうです。本当に心の温かくなるお話でした。私が電話をして直接お話しできたのは月に1回くらいでしたし、年に数回、T兄が頑張って教会に来られた時に短くお話しすることしかできませんでした。私たち夫婦はコロナ感染症がはやり始めた時に森小路教会に着任し、T兄もちょうどその頃からしばらく教会に足を運ぶことができなかったからです。でも奥様のお話を伺って、T兄について少し知ることができた気がしました。ふだんは口数が少なかったかもしれませんが、きっと誰よりも心の温かい方だったのでしょう。

 

そしてT兄は年に数回教会に来られた時には、必ず私に「先生、私は目があまり見えないし、耳もよく聞こえません。そしてふだんはほとんど寝たきりです。大変です」と語られるのです。それに対して私は「そうですか。大変ですね。でも、そのような状況の中で、よく頑張って来られましたね。すごいですね」と返事をします。するとT兄は一瞬、誇らしげなお顔になられます。大好きな教会で神様を礼拝するために頑張って来たことを褒められたからでしょう。T兄のお父様は牧師先生でしたから、きっとT兄は教会の牧師館で生まれ育ち、T兄にとって教会は父の家そのものだったはずです。10月の最後の週にT兄は久しぶりに教会に来られて、元気よく賛美をささげられました。目はほとんど見えなかったのですが、ほとんどの賛美は覚えておられたようで、大きな声で賛美することができたのでしょう。そんなT兄は、今、愛する父なる神様の家におられます。そして父の御前で声高く大好きな賛美を捧げておられることでしょう。

 

お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。また父の家でお会いしましょう。

 

そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

(ヨハネの黙示録 21:3~4) 

 

在主 林 尚俊

 

牧師室より トップ