2023年1月22日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

「輝く人生」と言う言葉には多くの意味が含まれていると思います。一般的に考えられるのは自分の分野で成功を果たした人の人生でしょう。仕事や学業において大きな軌跡を残し、多くの人々に褒められた人の人生を、私たちは「輝く人生を送った」と評価します。また社会の暗い所に光を照らし希望を与えた人々の人生も「輝く人生」でしょう。自分を犠牲にして人々を助けるという素晴らしい歩み方は、多くの人々に尊敬されています。どちらの人生も素晴らしい生き方だと思いますが、一番の「輝く人生」は、まことの光であるキリストの光をこの世に照らす人の人生だと思います。しかしそういう生き方は、決して自ら輝きません。どちらかと言いますと目立たず地味に見える場合が多いものです。人々から注目されることも、褒められることも、あまりない生き方かもしれません。

 

私は、そういう「輝く人生」を送った一人の方を知っています。その方と過ごした期間はわずか3年余りの短い時間でした。でもその方の人生を通して、私は牧師として多くのことを学びました。誰よりも優しく、誰よりも気配りのできる方でした。特に共同体の中で牧師の目と手が届かないところがあれば、必ず足を運んで静かに手助けをしてくださいました。そしてご自分に与えられた賜物を無駄にすることなく、教会や人々のために存分に用いました。妻として、母として、そして嫁として、それから娘、姉として、さらに教会では長老や日曜学校の先生としても、どれ一つ怠ることなく忠実に尽くされました。仕事においても学校の教師として、また社会の一員として最善を尽くされたことでしょう。その方の葬儀に多くの同僚や教え子の方々が来られたから、どのような存在だったのかすぐにわかりました。65年と言う短い人生でしたが、この方は、人の何倍の人生を歩まれたと思います。

 

もちろん森小路教会の皆さんが知っている方、そうです、愛する米田祐子長老のことです。祐子長老は言うまでもなく、私たち教会において本当に大きな存在でした。その理由については私がいちいち申し上げなくても皆さんの方がよりご存じでしょう。今日は祐子長老のすべての歩みの動機について分かち合いたいと思います。祐子長老のすべての歩みの動機は、神様を愛するが故でした。ご自分に永遠の命を与えてくださった神様の愛の光をこの世に照らすために、とても情熱的に歩まれたのだと思います。一人でも多くの人々にまことの光を証しするために一生懸命に走りました。寂しいことに、そんな祐子長老とは、二度とこの世では会うことはできません。しばらくの間は教会の中の多くのところで祐子長老の不在が目立つでしょう。何よりも優しい笑顔や礼拝で美しく奏でた賛美の音色が恋しくなるでしょう。しかし復活の恵みが与えられていることを、私たちが信仰によって確信しているかぎり、必ず再会できることを知っています。ですから今は、私たちも力強く与えられた歩みを歩みましょう。再会した時に叱られることのないように。祐子長老、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

 

目覚めた人々は大空の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々は/とこしえに星と輝く。(ダニエル書12:3)

 

在主 林 尚俊

 

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