2023年6月11日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

ある夜、家に帰ると夕食の支度をしている妻の様子が、ちょっと変です。いつも妻は夕食のメニューについてあまり言わないのですが、なぜかその日は聞いてもいないのに夕飯の食材についてブリーフィングするのです。「今日の夕飯のおかずにはアボカドを使います」。瞬間、私は、今何かが起ころうとしていることを本能的にキャッチしました。なぜなら妻は私が「反アボカド主義」であることを知っているからです。反アボカド主義とは、アボカドが嫌いだから食べないのではなく、栽培そのものに反対の立場を取っているという意味です(※私が勝手に作った用語です)。なぜ私が反アボカド主義かについては詳しい説明は省きますが、とにかく私が積極的に反対しているにもかかわらず妻がアボカドを買ってきたということは、何かを企んでいるということでしょう。

 

夕飯のおかずはアボカドとタコのサラダでした。もちろん食わず嫌いではないので食べることにしました。美味しい。しかし台所を見ると少なくとも種と皮が2個分ありますが、サラダの量はどう見ても1個分しかありません。妻に聞くと「そうなのよ。2個買ったけど、そのうちの1個はダメだったので中身は捨てたの」と答えました。しかしちっとも悔しさは感じられません。「捨てずにお店に持っていけば新しいのに変えてくれるだろうに」と言いましたが、なぜか簡単に諦めたような態度でした。今まで市場やスーパーで買った食材に対して、それなりの基準をもっているふだんの妻の様子とは大きく違います。しかも妻から「2個で150円だったし、別に食べるために買ったわけじゃないから」という返事が返ってきたのです。食べるためじゃない? こうなると何かを企んでいるかもしれないという疑いは、絶対に何かが起こっているという確信に変わりました。

 

案の定、夕食の後、台所接近禁止令が発令されました。翌朝まで台所の近くに行くことが許されません。お水を取りに行こうとしても「私が取ってあげる」と言って一切近づかせません。理由を聞くと「実は今アボカドの皮と種で着なくなったシャツを染めているの。ここで質問です。アボカドで白いシャツを染めるとどんな色になるでしょうか?」と、いきなり聞くのです。質問したのはこっちですが、かえって質問をされてしまいました。私は「緑? 茶色? ベージュかな」と答えました。すると妻はニヤニヤと「さあどうでしょう。正解は明日のお楽しみ!」という返事でした。しかたなく翌日まで我慢しなければなりません。

 

翌朝、妻はかなり早く起きて何かパタパタとしていました。そして朝、目覚めたばかりの私の目の前に薄いピンク色に染まったシャツを披露したのです。「どう? 可愛いでしょう? アボカドで染めると、こんなに可愛いピンクになるんだよ。不思議でしょ」と言いながら無邪気に笑っていました。そんな妻の姿は幸せそのものでした。自分で染めたピンクのシャツがよっぽど気に入ったようで、さっそく翌々日にはそれを着て出かけました。私は「シャツの1枚くらい、新しく買ってあげられるのに」と思いながらも、そんな妻の姿を見ていると、なぜか私まで嬉しくなりました。

 

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

(ローマの信徒への手紙 12:15)

 

在主

林 尚俊

 

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