2023年7月16日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

皆さんもご存じのように私はメガネをかけています。でもいつかお話をしたことがあるかと思いますが、私の視力は左が1.5で右が1.2です。そのため教会の礼拝堂の講壇に立つと、後ろのほうに座っておられる皆さんのお顔はもちろん、小さな表情の変化も全部見ることができます。それなのになぜメガネをかけているかと言いますと、それは老眼のせいです。「視力がいいと老眼になるのが早い」とよく言われていますが、まさに私がそのケースでしょう。

 

大草原に住んでいる人々のように、とても視力がよいのですが、そんな私にも一つだけ目に関する悩みがあります。老眼は老化に伴う自然現象なので、それほど悩みではありません。私の悩みのタネは目の中の血管が切れやいすということです。ちょっと派手にくしゃみをしただけで、容赦なく白目の細い血管が破れて結膜下出血を起こします。目が赤くなってしまうのです。それだけではありません。重い物を持ち上げたり、思い切り力んだりしても目が赤くなる場合があります。年に数回ほど赤い目になってしまうのです。

 

実は先週の聖日の少し前から目が赤くなってしまいました。皆さんにご心配をおかけするのはよくないと思い、私なりに一生懸命、隠そうと頑張りました。最初は何も言われなかったのですが、一人二人と私の目が赤くなっていることに気づかれて、「先生、目は大丈夫ですか」と聞いてくださいました。私の答えは決まっています。「ええ、大丈夫です。立派なくしゃみをして血管が切れただけです。大したことではありません」。心配されないようできるだけ明るく答えましたが、結果的にご心配をおかけてしまって申し訳ないと思っております。実は聖日の前にどうにかして治そうと、家にあるありとあらゆる目薬をひっぱり出してさしてみましたが、思ったより効果はありませんでした。こういうときは自然に治るのを待つしかありません。時間というのが一番の薬だとしみじみ思いました。

 

時間が治してくれるのは目の充血だけではないかもしれません。人生の多くの問題も結局、時間が解決してくれる場合が多いのではないでしょうか。そういうとき私たちがすべきことは慌てることではなく、静かに神様に任せて祈ることだろうと思いました。どんなに高い目薬も神様が下さる時間という薬には勝らないからです。今この文章を書いているこのタイミングで、私の目はほぼ治っています。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。今度の聖日には赤い目ではなく、赤ちゃんのようなつぶらな瞳でお会いできればと願っております。

 

人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

(コヘレトの言葉3:9~11)

 

在主

林 尚俊

 

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