2023年9月10 日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

先日、長老たちと話をしている中で、私たち森小路教会の歴史についての話が少し出ました。それをきっかけに私が個人的に森小路教会に赴任してからずっと不思議に思っていたことを改めて思い出しました。なぜ森小路教会は今市にあるにもかかわらず「今市教会」ではなく「森小路教会」なのかということです。今まで何人かの方に聞いてみましたが、今回は森小路教会の歴史的史料である『森小路教会七十年史』を読み直すことにしました。そしていくつかのとても興味深い歴史的な事実を発見することができましたので、皆さんと分かち合いたいと思います。

 

まず私たちの教会の名前が「森小路」になった理由についてですが、これは『森小路教会七十年史』の中からは有力な手掛かりを見つけることはできませんでした。ただこの史料から初代牧師である霜越三郎牧師が開拓した当初は「千林伝道所」と呼ばれていたということが分かりました。そして最初の伝道所が始められた場所の最寄り駅が、当時の京阪の森小路千林駅(今の千林駅)でした。おそらく森小路千林駅にある教会と言うことで「森小路千林教会」になり、またのちに「森小路千林教会」は長いので省略して「森小路教会」となったのではないかと、自分なりに推理分析しました。当時の駅から教会までは徒歩3分の距離だったそうです。

 

今回の研究(?)を通してはっきり分かったことは、私たち「森小路教会」は、実は地域としての「森小路」とは、直接関係がなかったということです。皆さんもご存じのように森小路教会は今まで3回移転をしましたが、最初の住所が大阪市東成区千林1320番地でした。それから2番目の住所は大阪市東成区北清水町875番地でした。「北清水」という地名が出てきたので、今の今里筋線の清水駅の辺りではないかと思い調べてみた結果、なんと今の牧師館の目の前にある千林の福島病院の真向いあたりでした。現在の「タナベ歯科」のところだったそうです。それから3回目、1938年に移転したところが今の場所です。当時の住所で言いますと大阪市旭区今市町930番地です。今までの住所をよく見てもどこにも森小路という地名は出てきません。ですから森小路千林駅が最寄り駅であったのが、「森小路教会」となったきっかけだったのではないかと思います。もちろん私の推理が間違っていたら、是非教えてくださいね。

 

今回の調べを通して改めてホッとしたことがあります。それは私たちの教会が今市にあるからと言って「今市(いまいち)教会」にならなかったことです。これについては先代の牧師の皆さんと先輩方々に本当に感謝しています。なぜなら、もし教会の名前が「イマイチ教会」だったら、大阪を知らない人々に教会の名前を言うたびに、ちょっと説明が長くなると思ったからです。「イマイチ教会のイムです。名前はイマイチでもイマイチな教会ではありません。素晴らしい教会です」という決まり文句を言わないといけなかったでしょう。そんな余計な説明を毎回しなくても、単に「素晴らしい教会です」と言えばいいので、本当によかったとシミジミ思っています。

 

過去の世代に尋ねるがよい。 父祖の究めたところを確かめてみるがよい。(ヨブ記8:8) 

 

在主 林 尚俊

 

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