2023年11月26日

 

愛する皆さま

 

主の御名を心よりほめたたえます。

 

皆さんもご存じのように、私はほぼ毎日、日本語を学んでいます。テレビや本の中で初めて出会った日本語の表現があると必ず妻に聞きます。すると妻はすぐ意味を教えてくれますし、私が言い間違えた時も直してくれます。もちろん言い間違えた私が恥ずかしくならないように最大限の配慮をしながらです。しかしいくら私が頑張って妻に教えてもらっても、またいくら妻が私の言い間違いを直してくれても、私にとって日本語は母国語ではないので、日常の中でかなりの確率で間違った表現を使ったりします。

 

最近の間違いの中で一番面白かったのは「泣く子も黙る」という表現でした。妻は大学時代に手に入れたカシミヤのセーターを今でも家で着ているのですが、ある冬にそれを着て「泣く子も黙るカシミヤだ。やっぱり温かいね」と言ったのです。私にとって初めての表現だったので、すぐにそれをキャッチしたものの、その時は意味を聞きませんでした。何となく使い方や使う場面まで想像できたからです。その時はその判断が、どれほど恥ずかしい結末に私を導くか、全く想像もしていませんでした。

 

それからしばらく時間がたって、冬を暖かく過ごすために服を一着買った時の話です。妻から「どう? 温かい?」と聞かれた私は、やっと前に学んだ慣用句を使うチャンスが与えられたと思い、ドヤ顔でこう言いました。「ラッコも黙るほどあったかいぜ!」その時の妻の表情を今でも忘れられません。何とも言えない複雑な表情で頭の上は「?」だらけです。瞬間、私は、本能的に何かを言い間違えていると感じました。しばらくして状況を把握した妻が笑い始めました。そして「“ラッコ”じゃなくて“泣く子”だよ」と言ったのです。恥ずかしさのあまり、私の顔は真っ赤です。ちなみになぜ私が「泣く子」を「ラッコ(海獺)」という海に住んでいる可愛い哺乳類と勘違いしたかと言いますと、「服が温かいので冷たい海に住んでいるラッコも文句を言えないほどだ」と勝手に解釈してしまったからです。つまるところ私の聞き間違いでした。初めて聞いた時に意味を聞いておけばよかったなあと思いながら、私も苦笑いしました。

 

英語の表現にも一歩間違えると全く違う意味になる言葉がたくさんありますが、その中で、とても興味深い表現があったので、ひとつ紹介しましょう。「GOD IS NOWHERE」という文章です。意味は「神はどこにもいない」です。しかし少しだけ区切りを変えれば「GOD IS NOW HERE」、「神は今ここにいる」となるのです。その意味には大きな違いがありますね。「GOD IS NOW HERE」と告白する者は、「神の子」なのです。

 

シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 (マタイ16:16) 

 

在主 林 尚俊