2024年01月28日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

皆さんは思わぬ場面で人々に誤解されたことはありませんか。もちろん人生において、そういう誤解は付き物ですが、私も時々、その誤解についてうまく説明することができないまま引っ張られてしまうことがあります。そのため本意ではないけれども嘘をついたことになってしまったこともありました。

 

実は最近、そのようなことが起こったのです。昨年の教会行事でギターを弾いたことがありました。そしてそれを聞いた教会のR君から、自分もギターを弾きながら歌いたいと思っていたのでギターを教えて欲しいというリクエストを受けたのです。なぜかわかりませんがR君には私が上手に演奏したように聞こえたようです。しかし皆さんもよくご存じのように、私のギターの実力は、はっきり言って誰かに教えるほどのものではありません。ギターをいじった経験はわりと長いですが独学なのですべてが自己流で教えるようなレベルではありません。しかも私は楽譜も読めないので、なおさら適していません。ですから最初は断りました。しかし何度もR君にお願いをされたので、しかたなく「基礎だけなら」という気持ちで教えることにしたのです。

 

しかしその後、私はすぐに自分の軽率な判断を後悔しました。なぜなら「基礎なら」と軽く思いましたが、よく考えてみますと基礎ほどきちんとした先生から学ぶべきだからです。しかしそれに気付いた時は手遅れでした。R君があまりにも喜んでいるのでもう断れません。こうなったからには私自身がゼロから基礎を学ぶつもりで教えるしかないと腹をくくりました。そしてさっそく困った時の良き師匠You●ube先生を訪ねていろいろ調べた結果、ちょうど今の状況にピッタリな先生を見つけて猛勉強です。それこそ基礎の指慣らしやドレミファを練習しました。

 

私がギターを弾き始めたのは中学校に入ってからです。教会の青年部のお兄さんたちがギターを引きながら賛美を歌っていた姿がカッコよくて憧れたのです。さっそくギターを手に入れて練習しましたが、もちろん当時はYou●ube先生もおらず、ギター教則本を頼りに一人でお兄さんたちの弾く姿を真似しながら、なんちゃって曲を弾いていただけです。誰にも聞かせることなく、一人でギターを弾きながら大きな声で歌ったりしました。今思うと、ちょうど思春期の真っ最中だった私にとって、ギターを弾いて歌う時間はすごく良いストレス解消方法になったのです。R君もその時の私とちょうど同じくらいの年齢だと気付きました。いろいろ悩むことの多い時期のR君がギターを弾くことで私が感じた賛美の喜びを味わってほしいなと思いました。私自身、ゼロから学び直すのはもちろん大変ですが、今年の教会の行事にはR君と二人で演奏できればいいなと思っています。皆さんも覚えて祈ってくださいね。

 

主に従う人よ、主によって喜び歌え。

主を賛美することは正しい人にふさわしい。

琴を奏でて主に感謝をささげ

十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。 (詩編33:1~2)  

 

在主

林 尚俊

 

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