2024年03月10日
愛する皆さま
主の御名を心よりほめたたえます。
「コミュニケーションは言葉だけではない」という話は、皆さんも耳にしたことがあるでしょう。私も聞いたことはありますが実際にそれが何を意味するか恥ずかしながら具体的には知りませんでした。ただ抽象的に理解していたのです。ところが今回、西部連合長老会の青年ビジョンツアーを通して、本当の意味で「コミュニケーションは言葉だけではない」ことを実際に体験することができました。
皆さんもご存じのように、先日、西武連合長老会の12教会に属する青年たちと先生たちと共に、3泊4日の韓国の旅に行ってきました。3泊4日という決して長くない時間を最大限に活かしてできるだけ多くのことを学び、また体験するために、さまざまなことを計画しました。一番心にかけたのは、やはりコミュニケーションです。このような海外でのプログラムは、言葉の壁という大きな障害物をいかに効果的に乗り越えるかによって決まるからです。特に2日目の夜には、韓国の大田(テジョン)にあるオジョン教会の青年たちと交流の時間を設けました。私たちのチームの中には通訳ができる人が3人もいましたので、3つのグループに分ければある程度の会話は交わすことができるだろうと思っていました。しかし最初はなかなかスムーズにはいきません。せっかくの良い機会が…と思っていたところ、食事と共に始まった交わりは信じられないほど速いスピードで盛り上がり始めました。最初は通訳する人を間に挟んでゆっくりと会話を進めましたが、少し時間が経つと、今度は自分たちで身振り手振りを交えながら会話を始めたのです。そしてそのうちスマホを持ち出して翻訳アプリを使いながら、自然と会話が盛り上がってきたのです。しまいには通訳者はいらないほどでした。あちらこちらで笑いが沸き起こり、共に楽しくコミュニケーションを取っていました。
奇跡のような瞬間でした。おそらくお互いに相手を一生懸命に受け入れたいという気持ちが伝わったからこそ可能だったのでしょう。みんな自分から話すだけでなく、何よりも相手の話を聞こうと必死でした。そこで心の壁が一気になくなったようです。もはや言語は大事ではありません。すでに心は通じあっていました。余計な心配をしていた自分が恥ずかしくなりました。最後に共に手を置いて互いのために祈る時間を設けましたが、その時はすでに私たちは祈りを通して一つでした。
今回のビジョンツアーのテーマは「実はきょうだいでした」という韓国ドラマのようなタイトルでしたが、まさに長い間離れていた兄弟姉妹が再開したような姿でした。日本と韓国の教会の青年たちが仲良く交わり祈り合う姿は、もちろん私個人的にとって、とても嬉しいことです。そして私以上にこの光景を嬉しく見守ってくださった方は、神様ご自身でしょう。
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。
(マルコ3:35)
在主
林 尚俊
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