2024年03月31日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

先日、韓国に行ってきたと報告したばかりですが、今度は韓国から嬉しいお客さんが来ました。約1週間前、「桜の季節に1人で日本に遊びに行くので、その時、先生に会いたいです」という連絡が入ったのです。私が以前、伝道師として奉仕をしていた韓国の教会で共に礼拝を捧げていた青年でした。その教会で私が奉仕をしていた時、彼はまだ中高科の生徒でした。彼が中2の時その教会での奉仕を終えて日本に戻ってきたので、私の記憶に残っている彼の姿は中2のままです。その後も彼が高校生の頃、家族と一緒に日本に遊びに来たりして3回ほど会いましたが、私の記憶の中では中学生のままでした。

 

さっそく約束の日になり、待ち合わせの場所へ車で向かいました。しかしその場所には1人のおじさんしかいません。彼はまだ来ていないのかなと思いつつ、私たちは近づいていきました。まさかそこに立っているおじさんではないと思ったからです。しかしよく考えてみますと、あれから10年は過ぎていますし、普通のサラリーマンのような姿になっていてもおかしくありません。急遽そのおじさんに韓国語で声を掛けてみました。「もしかして…J君ですか」。すると、「はい、先生、お久しぶりです」という返事が返ってきたのです。よく見ると中2の少年の面影が少し残っていたのですぐに気づきましたが、10年という歳月は恐ろしいものです。車に乗った彼に思わず「J君! おじさんになったね!」と言いました。すると彼は「僕がおじさんなら、先生はおじいちゃんですよ」と即座に答えました。中学生ではなく、大人と話をしている感覚です。そこは人通りが多い大阪の中心地でしたので、すぐに車を移動させなければならず、「おじいちゃん」と言われても落ち込んでいる暇もありません。ある意味、繁華街で待ち合わせをして良かったです。

 

さっそく彼を車に乗せて夕食を食べに向かいました。移動中に車の中でいろいろと話すと、彼はもう23歳で、すでに軍隊から除隊したということでした。ちなみに韓国では軍隊を除隊したら予備役という身分になりますが、予備役イコールおじさんという認識がありますから、またびっくりです。社会人になって働いていたけれど、職場で体を壊してしばらく治療をしていたそうです。幸い旅行ができるくらいに体調は回復したとのことでした。しかし残念ながら今は教会から離れているそうです。それでも自分が子どもの時に出席していた教会の伝道師のことを忘れずにいて、桜を見に来たついでにわざわざ会いに来たという事実から考えると、完全に教会から離れたわけではないと思います。私自身も今の彼の年齢の頃は完全に教会から離れていたので、彼の気持ちも良くわかるような気がしました。いつかきっと彼は、放蕩息子のように父の家に戻ってくると確信しましたので、今後のことは主に委ねたいと思います。そして私たちは、笑いながら美味しく夕食を頂き再会の祝宴をしました。ちなみにメニューはしゃぶしゃぶ食べ放題でした。

 

この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

ルカによる福音書 15:24 

 

在主 林 尚俊

 

牧師室よりトップ