2024年11月10日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

 

大分前の話ですが、2007年の年間流行語大賞の候補の中に「鈍感力」という言葉がありました。医者兼作家の渡辺淳一の同名エッセイのタイトルでもあるこの「鈍感力」という言葉が6位になりました。その年の流行語大賞の第1位は当時宮崎県知事であった東国原英夫の「どげんかせんといかん」、第2位は当時のアマチュアゴルフ選手だった石川遼を指す「ハニカミ王子」といった今でも覚えているほど有名な言葉がランクインされましたので、「鈍感力」という言葉は比較的、陰の薄い言葉ではありました。

 

ですから皆さんはあまり覚えていないかもしれませんが、私個人にとっては、とても印象的な言葉でした。今もそうですが、当時は特に一生懸命、日本語を学んでいた時期でしたので、「鈍感」というどちらかというと否定的な意味の言葉と「力」という肯定的な言葉が融合されているのがとても興味深かったのです。本も読みましたが内容はほとんど覚えていません。私が覚えている限り、医者である作者が日常における場面のあれこれを鈍感な人、敏感な人によって、どのような結果が生まれるかについて解説、感想を述べた話です。いわゆる「繊細さん(敏感な人)」に「鈍感力」を身につけましょうというメッセージでした。私は個人的に「鈍感さん」に近い人間ですので、内容としてはそこまで新しく興味深くはなかったため、ほとんど覚えていません。ただ言葉として「鈍感力」だけ覚えていました。

 

ところが最近になって「敏感」、「繊細」、「ナイーヴ」、「デリケート」など、「鈍感」の反対の意味の言葉をよく耳にすることもあり、再び「鈍感力」について考えるようになりました。改めて電子版の「鈍感力」の本を見つけてざっくりと読み直し、とても興味深い部分を見つけました。血をさらさらに流すためには鈍感であるべきだというのです。医学博士ならではの根拠から自律神経と血液循環の関係を「鈍感力」の観点で解釈していました。私はこの部分を読んだ瞬間、イエス様が十字架の上で私たちのために血を流された場面を思い起こしました。もちろんこの本の著者が言わんとしていることとは全く関係のない話になりますが、一応、牧師なのでイエス様が十字架の上で流された血について連想したのです。

 

最初は私たちの罪に対して鈍感になられたので、私たちにその罪の責任を問うことなくご自分の血を流されたのかなあと思ったりしましたが、よく考えてみますと、むしろイエス様は誰よりも私たちの罪に対して敏感だったことに気づきました。だからこそその罪を放っておくことができなくて、ご自分の命の血潮を流されたのです。つまりイエス様の敏感さによって私たちは生かされたわけです。ですから必ずしも敏感であることがマイナスではないということでしょう。もしこの手紙を読んでおられる皆さんの中に「繊細さん」がおられたら、イエス様もある意味、とても「繊細さん」でしたので安心してください。私たちもその繊細さを強みとして生かせばいいのではないでしょうか。

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。(コリント二5:21)  

 

在主

林 尚俊

 

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