2024年02月04日

愛する皆さま

主の御名を心よりほめたたえます。

私には子供の時に付けられたあだ名があります。それは「オットゥギ」です。おきあがりこぼしという人形がありますね。ぽっちゃりしたかわいい赤ちゃんの姿をしているおもちゃです。韓国ではこれを「オットゥギ」といいます。私は子供の時、人よりちょっと(?)丸かったこともあり、いくら転んでも泣かずにすぐ起き上がったということで、親戚の叔父さんが付けてくれたあだ名だそうです。いまだに親戚の間では「オットゥギ」と呼ばれています。

 

なぜいきなり子供の時のあだ名の話をしたかと言いますと、新たな2024年を迎えた今、私たちの教会も、「オットゥギ」のように起き上がりたいなあという希望を持って祈っているからです。私たちの教会が落ち込んでいるからというわけではありません。今まで3年間、コロナ禍も含めさまざまな理由で落ち込む時期がありましたが、2023年の後半からは日常に戻るための努力をしてきたので、少しずつ前の姿を取り戻しつつあると信じています。しかし私たちがいくら頑張って一気に起き上がろうとしても、思ったようにすぐには回復できないという現実もあります。新年早々、大地震という大きな試練がありました。もちろん直接被災したわけではありませんが、北陸地域の多くの教会が大きなダメージを受けたという話を耳にしました。また国際情勢や国内の政治や経済も混乱した局面にあります。そんな中、2024年になってすでに1か月が過ぎましたが、いまだに改善する兆しは見えません。こういう時こそ、私は頭の中で自分のあだ名を思い浮かべます。どんなに倒されても絶対に倒れない姿が、私たちに必要だと思うのです。

 

英語に「Resilience(回復力)」という単語がありますが、これはまさに「オットゥギ」の特徴をよく説明する言葉だと思います。この単語には回復する力だけではなく、前より良くなるという意味も含まれているようです。なぜなら試練を受けたあとは、その中で学ぶことがたくさんあり、それによってより強くなるからだそうです。幼稚園のチャプレンだった時、子供たちが芝生で走り回っている姿をよく見守っていましたが、その時の子供たちの様子がこの言葉にちょうどピッタリだと思います。一度転んで起き上がった子供は、不思議に次からは同じような所では転んだりしません。転んだことで何かを学んで、前より強くなったということでしょう。

 

さらに教会共同体には、転ぶ時、もう一つ忘れてはならない側面があります。私たち教会は転ぶ時に一人ではないということです。神様が私たちと共に転んでくださるのです。私たちはその時、共に転んでくださる神様の愛と御手を感じるのです。そしてますます神様の御手に自分を委ねることができるようになります。私たちは依然として弱いけれども、神様によって強くなれるのです。私たちの共同体の2024年が、神様と共に転んで起き上がる強さを感じる一年になるよう共に祈っていきましょう。

 

主は人の一歩一歩を定め

御旨にかなう道を備えてくださる。

人は倒れても、打ち捨てられるのではない。

主がその手をとらえていてくださる。

 (詩編37:23~24)  

 

在主

林 尚俊

 

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